〼(ます)健の備忘録

置き去りにしてしまいそうな好奇心を残せたら良いな。

人は人に夢を見る、という話。その①

野球の応援をし、プロの論評からSNS まで目を通すと、こんな批判が時々目につく。

「若い才能をリリーフで使い潰すな」

「甲子園は投げさせすぎ、これでは選手が潰れてしまう」

要は、才能溢れる選手が、その才能を伸ばしきれずに終わってしまいそうになることへの、批判。その才能を、目の前の舞台で発現させることに夢中で、より大きくしようとしない周囲への、批判。

 

これは例えば、自分の大好きな大学長距離でも似たようなことがある。いいタイムを出して、箱根駅伝区間賞を取るような選手が「箱根までの選手」で終わってしまえば、それが指導者や箱根駅伝に対する批判につながる。

 

これはつまりは、「人が人に対して、大きな夢を見ている結果」なんじゃないか、と。

 

一方で、指導者はそういう周囲と同じ夢をみている人も、目の前の舞台だけ考えている人もいるのかもしれない。

 

そして当の「才能」本人は、意外と「才能」を、周りの夢通りに大きくすることに、使命感があまりなかったりするんじゃないかな、って思っていたりする。(「箱根駅伝以上の目標を見出せなかった」と言った元マラソンランナーの出岐雄大なんかは、そういう例だと思っている)

 

こういう「才能に見る夢」のミスマッチについて、もう少しなんかの本を読んでから、続きを考えてみたい。これは今後への宿題ということで、タイトルに①をつけたのでした。