〼(ます)健の備忘録

置き去りにしてしまいそうな好奇心を残せたら良いな。

國學院ファン目線で語る観戦記2023(前編)

ご無沙汰しております。

去年は往路だけ執筆し、復路は記憶を失ってしまっていた()のですが、今年はしっかり前後編執筆したいと考えています。

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1 前日譚

今年の國學院は出雲2位、全日本2位という実績を残した。出雲駅伝に関しては優勝経験があったとはいえ、その年の全日本大学駅伝はあわやシード落ちという格好だったと考えると、チームとして「走りの再現性」はむしろ今年の方が高く見え、当然箱根駅伝も優勝を射程に入れる資格は有していたように思えた。

 

雲行きが怪しく思えたのが29日の区間エントリー、4区出走が濃厚と目されていた主将で「四本柱」の筆頭格・中西大翔選手が補欠、代わりに入ったのは関東インカレハーフ、上尾ハーフで入賞と長い距離にめっぽう強い鶴選手。この時の想定としては

・鶴選手が走れない

・大翔選手が復路に回る

のどちらかと見えた。前者でも選手層としてはまだなんとかなる、後者ならいいけどどの区間に大翔選手が出てくるのか...?、そう考えていた。

のちにこの見解は、最悪の形で裏切られることになるが...

 

2 往路譚 〜苦しみながら掴んだ上位ターン〜

◯青木12(12)-◯平林6(7)-山本4(5)-◯藤本5(4)-伊地知4(7)

(○:当日変更、選手名総合順位(区間順位)という表記としています。)

4区藤本選手...それはつまり、大翔選手が復路に回る、かつ鶴選手が出られないということ、引いては「中西大翔、出走不能」がうっすら頭に浮かぶ事態だった。それでも他の往路区間は概ね予定されたオーダーに見えた。

 

1区 青木(1) 〜若武者、走る〜

1区は飛ぶ鳥を落とす勢いの夏秋シーズンを送り、「5本目の柱」とまで称された青木選手。1区経験は出雲で積み、甲佐10マイルでも見事なタイムを叩き出し、スロー1区なら十分上位候補と目されていた。

ダイナミックなフォーム、苦しそうに走る姿、後方を陣取る位置取り、脚を溜めているのが分かるが少し怖かった。途中まで2位集団にいた。この段階ではいけると思った。中央の溜池選手が六郷橋登りで仕掛けて、そこで一旦追いつくために脚を使ってしまった、そして坂を下り切る頃には脚が残っていなかった、そのように見えた。それでも、よく最後まで粘って区間12位。

優勝を狙うならもっといけたのかな?と思うかもしれないし、自分も少しそう思った。しかし、忘れがちな事実として彼はルーキーなのだ。そして同じようにルーキーで1区を任された藤木選手(現旭化成)の1年次より速いタイムで駆け抜けたのだ。それも序盤スローからの展開で。健闘は健闘、でも伸びしろはまだまだ、という評がいちばん適切だろうか。

後日、彼に前田監督から今後のレースローテが言い渡されたようで、自身も「できないを求められているわけではない」と決意を新たにしていた。きっとこれが、「柱」襲名のための最終試験になるのだろう。ここで悔しさをバネにもう一段階上を目指し、今回負けた溜池選手やU20で負けた吉岡選手にも負けないエースに成長することを切に願っている。

 

2区 平林(2) 〜小さな怪物、覚醒〜

満を持しての2区出走となった平林選手。直近2年間は「伸び盛りの2年生エース」が担当していた区間で、どちらかというと洗礼区間となっていた。しかし今回の平林選手は四本柱の一角、「押しも押されもせぬエース」の座を確立して投入された選手、期待値は非常に高まっていた。

走り出した彼は、いつもの軽快なピッチを刻み、城西斎藤選手、日体大藤本選手、東国丹所選手、順天堂三浦選手、法政内田選手と名だたるエースを次々と交わしていく。

そして中継、タイムは見た目67分ジャストくらいを予想していたのだが、67分半のタイム。今年は(一部の突出したランナーを除くと)あまり速い流れにならなかったこと、さらに当人が怪我からの復帰戦だったことを考えると十分好走の部類にあると今は考える。

何より「怪我明けの状態で万全の近藤幸太郎(青学)と1分差」という事実に、ファンとしては底知れぬ喜びを感じている。全日本7区は万全同士でやり合って1分だったのだ、来年以降は近藤選手と同水準のスーパーエースに覚醒することを予感させる走りだった。と同時に、コロナ明けで66分半の田澤廉(駒澤)選手はやっぱり凄い...とも思ったのではあるが。

今年度〜来年度でMGCへの挑戦を明言しており、まずはそこでどんなインパクトを残すだろうか、期待は高まるばかりである。

 

3区 山本(2) 〜心・技・体〜

3区はそんな平林選手と共に2年世代の双璧、四本柱の一角をなす山本選手。前哨戦は2戦とも2区、特に全日本2区10人抜きなど國學院屈指のゲームチェンジャーの面目躍如となる走りであった。柱の中でも最も状態がよかったようで、区間賞をはっきりと目標に掲げていた。吉居大和選手が3区でないのなら、全然可能性はありそうに思った。

走り出してすぐ前を行く創価・山学をとらえ、単独4位。身体の捻りを使ったバネのあるランニングフォームが中継に映えた。しかしいかんせん展開は可哀想なくらい良くなかった。前の3校は見えず、順大・伊豫田選手らからは標的として見える位置とあっては流石の彼でも走りづらかったのではないだろうか。それでも貫禄の62分少し、ポジションは4位・区間5位で走り切った。同学年の駒大・篠原選手や明治のルーキー、森下選手に負けたのは本人にとって悔いだろうが...

それと、完全にレース外のことになるが、創価・山森選手との接触騒動で、フェアプレー精神あふれる対応が話題になった。このことについては深く言及はしないが、彼が「心・技・体」の「心」の部分についても充実していることを深く印象づけた、そんな幕間劇だった。

来季は伊地知・平林両選手のマラソン挑戦の結果次第になるとはいえ、「チームの柱」としての負荷量は一番多くなることが予想できる。しかし、今の「心・技・体」のすべてを高い水準で有する彼ならば、それでもチームのエースとして更に上のレベルに到達できると信じている。

 

4区 藤本(4)〜集大成はあまりにも強く咲く〜

4区は藤本選手。もともと学内世代2位のタイムを誇っていたが怪我がちな選手で、なかなか檜舞台に上がれなかった。それが4年になってから28分台、駅伝シーズンも主力の一角として戦っていた。もともとの位置付けは「復路のジョーカー」だったのであろうが、先述のとおり中西大翔というエースを起用できない状況下で抜擢された「代打の4区」で箱根路を駆けることとなった。しかしこれが、まさに一世一代の走りとなった。

山本選手同様、前は見えず後ろからはターゲットにされる難しい展開に巻き込まれ、かつヴィンセント選手(東国)が後ろから迫り、抜いていく。こんなに難しい展開でも、彼は自分の走りを貫いた。動きはよく見えた。嶋津選手など、後方にいたヴィンセント以外の有力選手は寄せ付けず、堂々の61分台・学内記録を打ち立てて区間4位。前田監督は彼を「学生スポーツの鑑」と称したが、まさにその言葉の似合う選手だったように思う。最後に大輪の花を咲かせてみせた。

彼は今季で現役を退き、実家の酪農家を継ぐことが決まっている。そのためラストランは都道府県駅伝、ということになるだろうか。酪農家の道は学生の4年より長く、長距離の道以上に忍耐が求められるだろうが、4年で大輪の花を咲かせた経験は必ず礎となるはずだ。

 

5区 伊地知(3)〜故に天下の険なのだ〜

5区は、こちらも柱の一角で満を辞しての投入となった伊地知選手。彼は昨年度の箱根では花の2区に大抜擢され、そこからは平林選手と共に「國學院のタフネス区間」の代名詞になった。そんな彼であるが実は1年時は雑誌のインタビューで山登りに意欲を見せており、今回もしかしたら...と個人的には思っていたが、11月に各種媒体で登りを匂わせる発言が相次ぐと「2区で戦える選手の山登り」ということで駅伝ファン界隈が色めき立っていたのをよく覚えている。ランニングフォームは2代目山の神・柏原竜二さんと同じようなキックの強さで走るタイプ、山の神候補としての素養は備えていたように見えた。

5位で走り出すと、大平台で前を行く東京国際をとらえ、しっかりとした足取りで宮の下を通過、しかしそこからなかなか区間順位が上がらない。小涌園定点では抜いたはずの東京国際にも抜かれて、苦悶の表情で走る彼の姿があった。最終的には東京国際は抜き返したものの往路4位、首位とは4分差での折り返しとなった。

続報によれば11月に故障しぶっつけの山登りとなったということであり、やはり天下の険は厳しく、準備が足りなければ國學院のタフネスキングをも飲み込んでしまうのか...と思った。客観的には難しい区間区間一桁は十分な部類にあたるのだが、本人にとって悔しいものになったことは想像に難くない。

こちらも平林選手と同じく、MGCへの挑戦を明言している。反骨心もまた彼の武器であると監督が語るように、転んでもタダでは起きない激走を期待したい。

 

往路を終えて

総合4位というポジションは、後々のチーム状況を考えると決して悪いものではない、が、優勝は奇跡でも起きないかぎり難しい、表彰台も上位3校のミス待ちということになってしまった。

駒澤・青山の2強はともかく、藤原監督の指導のもと高校の時から群を抜いていたポテンシャルを正しく発揮できるようになった中央の躍進には驚かされた。が、まだ付け入る隙がないわけではないと感じていた。島崎選手と大翔選手の状況次第ではまだなんとでもなる、と考えていた。大翔選手は往路終了時点でアウトが濃厚そうであったが...

そうはいっても野戦病院の中で2年連続の4位ターンは、チームとしての底力の向上を感じた。そんな往路だった。

 

(後編に続く)