國學院ファン目線で綴る観戦記:往路編
今年も箱根駅伝が終わり、振り返りの時期に入った。
Twitter上で懇意にしている敬虔なWファンやTKファンの方の影響もあり?今年は分析とは趣向を変え、「國學院ファン目線で語る」記事を執筆することとした。
長くなるので、まずは往路から。
1:2枚看板を襲ったまさか
往路:藤木−大翔−臼井−河東−殿地(敬称略)
当日変更を見ての感想は、「十分に想定内」だった。1区にエース藤木選手を立てることで最悪の想定だった「高速1区(特に、中谷選手(早稲田)によるデスレース演出)に対応できずレース本流から脱落」をケアし、上位の流れのままつないで5区殿地選手で抜け出す構想が見えた。
まずは1区。こちらは2枚看板の一角、藤木選手。他大を見ても中谷選手こそいなかったが、塩澤選手(東海)小野寺選手(帝京)吉田圭太選手(青山学院)ら有力選手が並んでおり、ファン心に「もらった」と思っていた。ファンも、おそらく指揮官も、藤木選手の区間賞を確信していたはずだった。
しかし、レースは予想外の様相を見せる。入りの1km3:33の牽制合戦、引き手の押しつけあいだった。最初は塩澤選手が引いていたが、それも長くは続かず、また牽制合戦に戻る。
そして10km過ぎ。藤木選手が「引かされた」。
筆者はTwitter上では強がって見せたが、自分で引くのはどう見ても悪手だと思っていた。事実、今季の全日本大学駅伝7区のシードライン上での攻防、藤木選手と星選手(帝京)のマッチアップで、猛然と突っ込み、星選手を離しに掛かろうとするも逆に利用され、挽回が難しい程の差をつけられた悪い記憶が蘇った。
それでもエースを信じるしかなかった。
しかし不安は的中した。六郷橋の上りでずるずる遅れる藤木選手の姿は、あまりにもショッキングで信じられない光景だった。
テレビで先頭争いを移している最中も、チラチラ見える藤木選手の位置が気になって、区間賞争いの攻防はよく覚えていない。
結局、意地で何人かの選手を拾い、12位で中継。周りに他のランナーもいる位置だったので、最低限の位置で踏みとどまってくれた、とは感じていた。
(※1/16追記:藤木選手について、直前期に故障していたことが雑誌で明らかになりました。それを考えると引かされたのは明らかに酷でしたね...それでも12位でまとめたとあってはエースの矜持を感じました。来年こそは輝いてほしいものです。)
そして勝負は花の2区、こちらも同じく2枚看板の一角、大翔選手。
10位に順天のエース候補にして三浦選手以上の大器だと個人的に思っている野村選手、13位に帝京のエース星選手がおり、この2人のどちらかを使っていければ浮上はできるだろうと思っていた。
事実、序盤は野村選手と併走し、横浜駅前定点を昨年度手に汗握る首位対決を演じた土方選手(現Honda)と遜色ないタイムで踏破し、後方から追い上げてきた田澤選手(駒澤)、星選手も合流し、追撃体制が整ったかに見えた。
しかし、権太坂定点カメラで、また信じられない光景を目にすることになる。
田澤選手、野村選手、星選手、それぞれが単独で通過する。大翔選手の姿がどこにもなかった。単独で遅れていた。
最後はなんとか河田選手(法政)を抜いて15位で戸塚をパス。
2枚看板の不発。
それも、今回太刀打ちできなかった2枚看板は、國學院記録を次々と更新し、記録会に出れば他大のエースと比較しても上位の実力を示し、昨年度の往路準優勝にも大きく貢献した、大学史上最高峰の2枚看板だった。日本人上位2選手の出力でいえば全大学見渡しても5本の指に入ると信じて疑わなかった。
その二人を立てての往路15位。予選会校だった頃を思い出し、ここから悪い流れに飲み込まれ、シード権を落としてしまうのではないかと思っていた。ここで筆者はもう心が折れ、諦めの気持ちで戸塚以降の戦局を見守ることになった。
2:選手は諦めていなかった
諦めモードに入りながらも、それでも國學院の選手の動向が気になる3区以降。そこで「諦めているのは自分だけ」ということを痛感することとなる。
立役者は「奇跡の男」臼井選手。
2年時の全日本から1年以上故障し、大学大躍進の昨シーズンほぼ全休だったながらも、復活を遂げた「元エース候補」だった。
(来歴は以下の記事に譲るとする。)
藤澤の定点にして遠目から国士舘大学を抜いているのが判り、「もしかしたらなんとかなるかもしれない...」と淡い期待を抱いた。
が、もともと3区は國學院の鬼門だった。直近3年こそ青木選手(現トヨタ自動車)が奮戦していたものの、その前までは
93回土方 1:06:24 18位
91回塚本 1:08:29 20位
90回沖守 1:07:11 21位
89回柿沼 1:07:57 14位
88回宮澤 1:04:31 16位
87回宮澤 1:04:29 12位
目も当てられないような順位やタイムが並ぶ鬼門中の鬼門だった。その上駅伝の流れは最悪。まだまだ不安だった。
しかし茅ヶ崎の定点ではさらに上位を狙える位置につけていた。ここにきてようやく、奇跡を信じ始めた。臼井選手はそのままぐんぐん進み、中継所の終盤では湯原選手(青山学院)の後ろにちらちら映った。そこでもう感動した。結果的には3区7位、中谷選手(早稲田)と遜色ないタイムで踏破した(もっとも、中谷選手は日本選手権で消耗していたのだが)。
國學院のホームページに寄せたコメントに本人の納得度合いが滲み出ており、紆余曲折あった4年間の〆がこの走りでよかった、としみじみ感じ入った。マツダでも延藤・山本・向選手というトリプルエースに比肩する選手になってほしいものだ。
(臼井選手のコメント: http://www.kokugakuin.com/shidou_comment.php?page=2)
その臼井選手から襷を受けた4区の河東選手。昨年の8区や全日本の4区を任されるなどタフなコースに強く、また昨年の丸亀ハーフで見事なビルドアップを見せていたこともあり、この区間での適性は文句なし、と感じていた。しかしなかなか区間順位が上がらない。もどかしかった。
そんな河東選手や前田監督からしたら、不本意な走りだったのだろうが、12位をキープして小田原へ。個人的には順位落ちなかったしいいんでないかい?という感覚だった。
そして監督が自信を持っていた5区へ突入する。昨年度10区で劇的ゴールの殿地選手が待っていた。
主力の一人で、毎年冬に調子を上げて、去年奇跡を演じた生粋の駅伝男が走る、しかもチームが窮地とあっては期待というか、すがるような気持ちで観ていた。祈りを込めたハッシュタグ「#ドンちゃん騒ぎ」が國學院ファンのTLに踊る。
入りの定点こそ遅かったが、登りに入ってからぐんぐんペースを上げ、区間順位は6〜8位を推移した。去年の実績がある鈴木選手(明治)にも差を詰めさせない。
そして竹石選手(青山学院)が脚を攣り、その様子が映るたびに、後方からちらちらと殿地選手が映る。相手に異変が起きているとはいえ、勝負の世界。順位が上がりそうとみるやテンションが上がった。そしてもう1人、小涌園の定点で一気にペースが落ちた諸冨選手(早稲田)にも追いつけるのでは...?と淡い期待を抱いた。
そして創価大学の初の往路優勝を見届け、カメラが切り替わったところでこれらの期待はすべて現実となっていた。
結果として日体大とその青山学院、早稲田を抜いて、山で順位を3つ上げ、9位フィニッシュ。
往路を終え。
諦めが早すぎた。情けないと思った。
後続の選手は誰も諦めていないと思った。おそらく復路の選手もそうなのだろう。「まだまだこれからだ」ということを心に念じた。
そんな往路だった。
それとやっぱり創価大の往路初優勝が羨ましく見えた。
去年、大学史上最強の往路メンバーが、全員四捨五入して100点になるような走りをして、それでも青山の吉田祐也選手(現GMO)に150点の走りをされて、ついに掴めなかった往路優勝。
それがこう、波乱の展開のなかでひらりと創価大の手中に収まったように見えてしまった。
次のチャンスは、必ずものにしてほしいと切に願った往路でもあった。
(次回、復路編へつづく。)