「寛容」であること
社会人としての生活が1年たち、その中で仕事をしていく中で、色々思うところもあり、久しぶりにちょっと理屈っぽいことを書いてみる。
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自分はいま、仕事の都合で離島にいる。
離島の生活というのは、とにかく店じまいが早い。
24時間空いている店はなく、9時まで空いている飲食店や商店もほとんどない。それに、欲しいものがいつでも手に入るとは限らない。それでも、住めば都とはよく言ったもので、慣れてしまえば「それでも困らない」という発想に、1年で至った。
それに、こういう生活、困ることだけではない。多少不便であることの反動だろうか、夜や休日に余暇を満喫し、文化活動やスポーツで楽しむ島の人の群像を、1年で見てきた。そしてそういった活動は、自分を高めること、全く知らぬ他者と交流する契機になること、といったメリットがあるように思える。幸い、自分もそういう「余暇を満喫できる」環境にいる。
ここで感じたこと。それは不便を享受すること、もっといえば、不便や不都合に寛容であること、これが、人を豊かにするのではないだろうかと、自分は思うのだ。
最近、ヤマト運輸やセブンイレブンで過剰なサービスを廃止している動きがあるが、これは、不便なことや不都合なことに「寛容でない」風潮が為にシステムが変調を来し、それがまずい、と感じたがための不便への回帰といえるのではないだろうか。このことが、どういう結果を生むかはわからない。ただ、こうした「不便への回帰」に、社会が寛容であることを願ってやまない。それが社会にとっていい影響をもたらすと、自分は確信してやまない。
もっとも、まだ根拠のないフィーリングだけのたわ言なのだけれども。